阪神淡路から14年

いまでも「まだあれから14年しかたってない」
という思いの被災者も多くいるのではないでしょうか・・・
早く全ての人が「まだ」ではなくて「もう」と思える様になって欲しいと願っています。

「もう」と思えるというのは、幸せな時間をすごせている証の一つだと私はおもうので。
posted by Jinjin at 2009年01月17日_14:08 | Comment(6) | JJTPの元ネタ
「もう」と思えるのが幸せだからとは限らないのではないかなぁ
未だ震災の影響から抜け出せてない人達にとっては
「もう14年も経ってたなんて!!」
と感じるものでは?
「もう」と感じるか「まだ」と感じるかは当時の年齢によっても左右される気する。

私なんて姉歯事件からもう3年??って思うもん(^_^;
Posted by MIMI at 2009年01月17日 15:19
姉歯事件は端から見るより大変だっだろうしMIMIさんのその後の生活にも大きな影響を与えたとは思うけど「もう」って感じるってことは「基本的には」オッケーな生活を送ってきた証拠だとおもうよ。
これは「まだ」の感覚を経験しないとわかんないかもしれないから私の意見が逆に感じられるのは仕方ないけど。
あと、年齢というファクターは確かに影響するかもしれないね。基本的な年月の流れ感覚が違えば、変わってきちゃうからね。
Posted by じんじんさん at 2009年01月17日 16:30
基本的にはオッケーどころか先の見通しがどんどんなくなってってるのに時間だけは
3年も経ってるから「もう」になるですよ。
でも自分で体験した事でなければ誰も実感は出来ないとも思うです。

震災に関しては友達が引越しの翌日に遭遇してえらい目にあったって事はあったけど
生命に関わるよな知り合いはいなかったんで実感は薄い方かも知れない。
建造物の被害状況なんかは相当見たんでよく知ってはいるけど、
現在の東京の耐震基準だったらあそこまで壊滅はしなかっただろうとも思った。
まぁ揺れ方次第でもあるのは確かで「絶対」とは言えないけどね。

Posted by MIMI at 2009年01月17日 18:00
「幸せ」って書いちゃうからいけなかったのかも。
キツいなかでもあれやこれやとやって来た(これた)人には
「もう」の感覚ができて
キツかろうがキツくなかろうが何もできなかった人は「まだ」の感覚が強いのかもしれない。
私はキツいキツくないはともかく「色々やること(できること)」がすなわち幸せという感覚があるので、もう、は幸せな証拠と思ってるのかな。
Posted by じん@風呂 at 2009年01月17日 22:55
あと「まだ」は相対的な感覚という面もあるかな。
周りは「もう」と言うけれど私は(何年経ったか知らんが)「まだ」その問題に直面してる、という感覚。
だから「もう」と言うと、すでに過去のものになってしまってる感じがします。
Posted by じん@うち at 2009年01月17日 23:31
 被災した人達が、あんなこともあったねぇ、と思い出にできるように早くなればいいですね。

・「まだ」14年しか経ってないから「まだ」完全には復興していない。
・「まだ」震災の影響が残っているけど「もう」14年経つのか。
・「もう」震災の跡形もないけれど「まだ」14年しか経っていないのか。
・「もう」14年経つから「もう」影響は殆どない。
 「もう」か「まだ」かに関して言えばいろんな組み合わせがあるような気がします。ま、4番目が一番幸せに近いようにも思えますな。

 あと、経験していない人にとっては地震という単一のイベントなんでしょうが、被災者にとっては、突然の激しい揺れに始まって、生き埋め、脱出、家族や知人の死、家財の喪失、インフラ・流通が止まって水や食料・燃料・資材の調達、避難所や仮設住宅での仮住まい、復興に向けての作業、などなど人によって違いますが長期に亘る膨大な非日常の塊です。そのどの事象を振り返るかによって、一人の人にとっても感じ方が変わってくるでしょうね。
Posted by ichi at 2009年01月19日 02:24
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